こんにちは。
勉強嫌い・苦手な子どもに
勉強の面白さを伝える家庭教師の
伊藤文嗣です。
今日は少し趣向を変えて、
自分が考える先生の『本質』について
お話します。
「そんなのプロフィールとかにまとめて書けばいいじゃんね」
って内容かもしれません。
興味がなければ読み飛ばしちゃってください。
”教える”ことは『本質』でなく『手段』にすぎない
「先生の『本質』なんて簡単、”教える”ことでしょ?」
そう思われるかもしれません。
でも、それは『本質』ではなく、
本質を達成するための”手段”だと思ってます。
先生が存在する意義とか価値とかの
『本質』や『目的』があって、
それを実現するための一つの手段が”教える”こと。
では、
「じゃ、その意義とか価値とか目的とかの『本質』ってなんなのよ」
って話ですよね。
子どもが欲しいものを理解して、それを手に入れることができる人になれるようサポートする
私は、先生の『本質』とは、
子ども・生徒が欲しいもの/求めているものを理解して、
その生徒がそれを手に入れることができる人になれるように、
知識をあたえることによってサポートすること
だと思います。
だから、数学や英語、国語や歴史を
ただ教えるのではなく、
生徒が欲しいもの/求めているものを得るのに、
その勉強・科目がどれだけ役立つかを伝えることが、
本質に基づく先生の活動だと思います。
ここさえ伝えることができたら
ほっといても子どもたちは勉強しますよ。
なぜなら、勉強することが、
その子にとって欲しいものを手に入れる方法なんだから。
学校の先生では、もう手が回らない…そこを助けたい…かな
でも、実際これを今の学校でやるのは難しいです。
なぜなら、子どもたちの欲しいもの/求めているものが違うから。
30年、40年前であれば、
子どもたちが欲しいものはスポーツ選手になるか、
好きな職業に就くことくらいで、
30〜40人の子どもでも一人の先生でこういった対応ができました。
でも、今は、職業やスポーツ選手にはあまり夢はなく、
ワクワクすることもありません。
大人たちもつまらなそうで
欲しいものがわからない子どもばかりです。
これを一人一人、本当は何が欲しいか導いてあげて、
教科でサポートしてあげるのは手間がかかり物理的に不可能です。
だから、自分は学校の先生が気づかない、
手が届かないそういう所を何とかしようとしてんのかな…とふと思いました。
今日はこんな内容です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではでは。